満月堂の歴史

ふるさと淡河のまち

淡河の歴史

満月堂のある神戸市北区淡河町。 淡河盆地はかつて「泡河湖」と呼ばれる湖だったそうです。
中世鎌倉から地頭職として入った北条氏の一族が名も淡河氏と改め て作った城下町でした。
豊臣秀吉の西国攻め以後は、宿場町へ転じ播磨から湯の山(有馬) を経て京・大阪を結ぶ最短路に目をつけ、西国街道の裏街道とした 秀吉は、土地の庄屋に淡河宿をつくらせました。
税を免じられた宿場は栄え、本陣が置かれて江戸期に入っては参勤 交代や湯乃山湯治の大名が泊まっていきました。
現在はのどかな田園風景が広がる静かな町ですが、ドライブコース として新緑や紅葉を楽しむ行楽客、ゴルフ客、有馬温泉への湯治客 でにぎわいをみせています。

淡河城址

満月堂のすぐ裏手の山には、淡河城趾があります。
河岸段丘上端に築かれたこの城は、淡河氏代々の居城でしたが、秀吉による三木城攻めの後は有馬氏一万五千石の居城として慶長6年(1601年)まで淡河と共に栄えてきました。
城の遺構は現在本丸と天守台、掘を残すだけとなっています。
現在は市民公園として整備され、淡河周辺の農村風景を一望できます。